『後編:夢幻』

安らかな表情で眠る姉の頬に、私は額を寄せた。
今は何回めだろうか。数十までは覚えていたが、そのうちそれが無意味に思えてしまい数えるのをやめてしまった。はっきりと言えることは、こうして繰り返された姉の死が確実に私の心を蝕んでいるということだ。

「もういい…もういいよ…」
私の瞳からは悲しみからではない涙が溢れ、滴り落ちたそれは姉の枕を濡らし続ける。
繰り返されるこの時間を、最初は少なからず喜んでいたはずだったのに。死んでしまった姉が、ひと眠りもすれば生きていた頃のまま、ベットの上から私を優しく見つめていてくれる。それは奇跡以外のなにものでもなかったが、奇跡は繰り返し起こることでその意義を失ってしまうらしい。
はじめはこの現象が永遠に続くようにするために、自分はなにをすればいいのか考えていたのに、気づけば繰り返しを終わらせるためにはなにをすればいいのかと、思考が切り替わっていた。どうして時間がループするようになってしまったのか。いろいろな原因を考えてはみたが、思い当たることはなにもない。

「ごめんね。」

自分がなにを謝っているのかはわからない。しかし、開いた口から最初に出てきた言葉はそれだった。
「もう終わりにしたいの」
これが私の本心だろう。繰り返しの終わりが姉の完全な死を意味すると知っていても、私はそれを望んでいる。願っている。
私はそのことを謝っていたのだ
額を離し顔を上げると、静かに立ち上がり窓際へと移動する。5階にある姉の病室からは病院の中庭が一望することができた。窓を開けると昼間の暑さを引きずったような生暖かい風が吹き込んできて、まだ涙で濡れている私の頬をなでる。
近くにあった椅子を手前に動かすと、律儀に靴を脱ぎその上へと乗った。窓のサッシが足元とそう離れていない距離にまで近づき、いつもより高くなった視点から見える空には星が瞬いている。
そのまま、ゆっくりと足を前へ進める。そこは束縛のない自由な空間。解放を約束するように、踏み出した一歩はとても軽く、しかし身体はその歩みに従い動いた。一瞬自分は宙を歩いているのではないかと感じたが、それも束の間、身体ごと落ちていく感覚とともに意識は薄くなり、やがて遠のいた。

目が覚めたのは病室だった。
夏の香りが色濃くなった初夏の昼時。外の暑さを主張するように日が鋭く差し込んでいるのが、病室のカーテン越しにもわかる。閉じた窓の代わりに、冷房機から吐き出される少し埃臭い冷風が涼しさを運び、室温は肌寒さを感じるほどだった。
「あ、目が覚めましたか?」
静かに目を開けた私を横から覗き込むように、看護師らしい人がこちらを見ている。しばらくすると、白衣を着た担当医らしい男性がやってきて、幾つか質問すると”大きな異常はなさそうだ”と言って、安心した表情を浮かべた。
結局、窓から飛び降りた自分は死ねなかったのだと、しばらくして理解した。ふと、ベットの横に置かれた机の上に乗っている電子時計のカレンダーが視界に入る。日付は繰り返されていた姉の命日から、二日が過ぎていることを表している。
涙が前触れなく流れ出て、私はそれを手の甲でそっとぬぐう。繰り返されたあの日は今や過去となり、同時にそれは姉が死んでしまったということも意味していた。自分があれほど望んでいた終わりだったはずなのに、初めて姉の死に直面した時以上の悲しさと、もう姉に会うことができない寂しさがどっとこみ上げてくる。

もう少し寝ようか。静かに目を閉じる。
もしかすれば次に目が覚めたときには、姉がいつものようにベッドの上からこちらを見て微笑んでいてくれるのではないかと。そんな淡い期待を胸に抱きながら。

『エピローグ:永遠』