『アキちゃんのミカン』

アキちゃんは隣の家に住んでいる。
僕が家の前でアキちゃんを呼ぶと、はぁーいーと、穏やかな声で返事が返ってくる。
しばらくすると玄関の扉が開いて、ゆっくりとした足取りで出てきた。
「タケちゃん、どうしたの?」
優しい笑顔のアキちゃんは、僕よりちょっと背が高いので、軽く見下ろすようにして尋ねてくる。
「おミカンちょうだい!」
アキちゃん家の庭にはミカンの木があって、いつも採れたミカンを僕にくれる。これが甘くてほっぺが落ちるほど美味しいのだ。
「はいはい。ちょっと待っててね」
アキちゃんは家の中に戻り、しばらくするとスーパーの袋に入ったたくさんのミカンを持って出てくる。
「ありがとう!」
僕は抜けたばかりの前歯が見えるほど、大きく笑った。それを見てアキちゃんもニコニコと笑った。

それからいく年か経ち、僕は中学生になった。勉強は難しかったが、友達もたくさん出来、忙しい毎日を過ごしていた。そんな日々のなか、いつしかアキちゃんにミカンをもらいに行くこともなくなり、アキちゃんと会うことさえもなくなっていた。
そうして僕が高校生になる頃、アキちゃんは亡くなってしまった。
アキちゃんと一緒に住んでいた孫夫婦が、訃報を伝えに僕の家に来た。老衰だったそうだ。 数日後、アキちゃんの葬式が営まれた。最後に会った時に比べて髪の毛は真っ白になり、顔の皺も増えたように見えた。横になったアキちゃんは、いつも背中を曲げてトボトボ歩いていた時よりも背が高くなったようだった。
「タケくん」
部屋の奥にいた孫夫婦のおばさんが僕を呼び止めた。
「アキおばあちゃんね、死ぬ最後の時までタケくんにこれを渡したがってたの。」
そう言うと僕の手にミカンを1つ置いた。
「タケちゃんはミカンが大好きだから、タケちゃんの笑顔、もう一度見たいからって…」
最後まで言い切らぬうちに、おばさんは目から涙を流し、部屋の奥へと戻っていった。
一人残された僕は部屋を抜け出すと、アキちゃん家の庭先へと出た。ちょうど季節が終わり、実のなくなった木を眺めながら渡されたミカンの皮を剥くと、一粒口に入れた。 その味は昔と変わらず、甘くてほっぺが落ちるほど美味しく、そしてなぜか、塩辛かった。

あとがき